こんにちは☺️
今回は、転勤族について書こうと思います!
⚠長いです!
引っ越しを経験したからこその今の私があるといっても過言ではないと思うほど、3回の引っ越しは場面ごとに転機がありました。
最初の引っ越しは、私が小3のときでした。
静岡から岐阜へと引っ越しました。
この岐阜への転勤は結果的にはすごく意味のあるものでした。
最初引っ越しが決まったときは、とても嫌だったのを覚えています。たぶん教室でも泣いてたんじゃないかな??
友だちと離れることが単純に寂しかったです。
けど、引っ越した先の学校では、すぐに色々な子が話しかけてきてくれました。自己紹介もたくさんしました。すごく嬉しかったです。
知らない土地で一から友達を作ることって本当に難しいです。
方言があるから言葉だって違うし、学校の規則から勉強方法とか、今までとは違う環境だから適応するのが大変でした。
最初は、学校に行くのが嫌でした。だから、朝は布団から出られなくて、母と毎朝格闘していたと思います。
けど、徐々に仲良い子がたくさん出来て、お泊まりし合ったり、放課後ずっと遊んでたり、校内鬼ごっこやったり...
すごく活発に遊んでいました。
道端で家庭訪問に行く先生の車を見かけたら、
自転車で追いかけたこともあります。
隣に住んでたお姉さんとドッチボールの練習もたくさんしました。
どうやったら早く正確に投げれるかたくさん練習してました。
父が帰宅するのを待ってから、一緒に遊ぶことも多かったです。
当時の私はすぐ拗ねる子供で、負けたら泣く、負けたら悔しくて家出(仮)を頻繁にする
ということを友達に対しても数えきれないほどしました。ごめんなさい。笑
けど、その度に探してくれる友達がいました。
そんな大切な友達とたくさん出会えたのがこの岐阜での生活でした。
毎日遊び呆けて、勉強は一切した記憶がないです。宿題とかはたぶん焦りながら、泣きながら片付けてはいたと思いますが。
この岐阜で、毎日全力で遊ぶことが出来て良かったなあといつも思います。
勉強勉強って言わなかった両親、
子供時代にしか出来ないことをちゃんとやれる期間があったことが本当に良かったと思います。
家族で出掛ける機会も多かったです。
思い出すのは、私が社会で習ったことや場所によく連れて行ってくれました。
和紙を習ったら、美濃まで和紙作りをしに行きました。
岐阜城にも連れて行ってくれたり、白川郷や昭和村にも何回か行った記憶があります。
社会科で習い、私が興味のあるところに連れて行ってくれました。
勉強は確かにしていなかったけど、このような形で楽しんで歴史に触れたり、好きなものを肯定してくれていました。
この岐阜での生活では、本当に勉強した記憶がないです。
読書はたくさんしてました。歴史が好きで、マンガで分かる!ピラミッドの秘密(ニュアンス)とかライト兄弟の話とか。本はよく読んでいたと思います。図書係ずっとしてました🤓
けどそれを上回るのが、楽しい遊びの思い出たちです。
小学生のときに小学生らしいことを出来たことが、1つの今の私の武器だと思います。
大人になるにつれて、遊びたくても遊べなくなるということを今実感してます。
なにも考えないで遊べるのって小学生しかないなと思います。
塾へ行き勉強をしてる子もたくさんいました。
たまに、公文に行ってる子が羨ましかったです。だって頭が良いから笑
けど、私には公文に行ったりすることは性格に合ってないとたぶん母は思ってたと思いますし、私も塾は苦手です。
勉強出来る子が羨ましかったけど、それより遊び!だった岐阜での生活はかけがえのないものでした。
知らない土地で友達を作り、適応し、好きなものに触れる。
簡単そうで難しいんです。これを小3~小5で経験出来たからこそ、
今知らない土地でも適応することが出来てるのかなとも思います。
程よい田舎で過ごし、時間に余裕がある小学生時代はとても貴重でした。
長くなりましたが…
...2へ続く
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