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2019年1月27日日曜日

推薦入試で高校へ[転校生の経験から⑥]



そんなこんなで成績が上がった私は、

自己推薦入試をすることに決めました

そもそも、

母曰く、

私に受験勉強は向いてない。と。

そして、サッカー観戦を通して英語に興味を持った私は、

留学

という道を考えました

高校生で留学する意義は大いにあると思います

その背中を押してくれたのは担任の先生だったり、まさしく私の母でした

高校を探していくなかで、

私には私立が合うと感じていきました

私立展や説明会にもたくさん行きました

中3で引っ越してきた私は、

地元の高校や都会の高校の知識や情報が全くありませんでした。

だから、自分たちから動かないと自分に合う高校を見つけるのが難しい状態でした

そんな中、運命的な高校と巡り合い、

そこの高校に入学することに決めました。

幸い、成績が良かったおかげで、

特待生

というご褒美までいただけました

静岡にいたときからは考えられないような

ある意味サクセスストーリーとも言える、

真逆の人生になっていきます

普通、凡人、平凡だった私が、

ただ引っ越しただけで、

特待生になれるなんて思わなかったです

県や地域、学校の違いによって、

学力を測る指標が違う

ということをたまたま利用出来たおかげで、

今イギリスで勉強することが出来てます。

これはなかなかレアなケースだと思います笑

だけど、引っ越して辛い思いもしたし、

文化の違いを肌で感じたし、

だけど、

だからこそ、

たくさんの人と出会って、

たくさんの人と接したからこそ、

多国籍な国でも受け入れて生きていけているんだなあと思います

色々な考えの人がいて当たり前

これを引っ越しを通して経験することが出来て良かったです

まだまだ私自身、至らない考えのときが多いですが、真心を込めて人と接していくことが目標です

今までの経験を無駄にしないように努力していきます💪

勉強もまだまだ頑張るぞ~~~!!!




乱雑な文で本当に申し訳ないです

これにて転勤族編を終わりにしたいと思います

読んでいただきありがとうございました☺️







2019年1月26日土曜日

[人生逆転劇]中3になってめちゃくちゃ成績があがる[転校生の経験から⑤]



中3といえば、

高校受験の年


その年に私は神奈川へ引っ越しました。

中3で引っ越すなんて、

受験のことを考えると本当に大変です

ですが、

ここで私にとって

ミラクル

が起きるのです

前のブログで、私の内申点は28と書きました。

学校によって成績の付け方も違います

神奈川の学校は、とにかく成績の付け方が緩かったです

そもそも、宿題がほぼゼロ、定期テストの学年/クラス順位も出ない

ここにびっくりしました

自分がどれだけ周りと比べて出来てるのか/出来てないのかが全く分かりませんでした。

ですが、そんな中でも成績は上がってたのです

テストの点も平均ぐらい...

なのに内申は上がる...

ということは、基準が緩いということなんです...

中3だと、特大サービスで先生って内申点を加算してくれますよね

それを込みで私の内申点は、

39


になってました

一体どういうこと?!

ほぼ4と5しかなかったです

この時は塾には行かず、進研ゼミで学習していました。

それなのにこの内申だったのは、

やっぱり内申点の付け方が私にとって味方になったとしか言えないです

静岡できっと厳しく付けられてて、

それで培われた力なのか...はたまた...

というところはありますが、

この恩恵を受けて、高校受験の選択肢が広がりました☺️☺️

次回はどのように高校を選んだのか書きたいと思います

[衝撃] 田舎と都会の学校の差?!?![転校の経験から④]





中3になり、神奈川へ転校した私

東京よりなのでめちゃくちゃ都会!!!

転校が決まったときから、ドキドキワクワクでした💗

学校の案内を先にもらっていたので、どんな学校か想像してみたり、

自分で検索してみたり…

都会の学生に憧れていました

なんせ、静岡の学校は田舎でしたので、

都会って聞いただけでもうそれはテンションが上がります


ですが!!!


私の田舎と都会との


に苦しむのです…

静岡では、校則がとても厳しかったです

スカートは膝下、髪は地毛で肩についたら縛る、髪ゴムは黒か茶色か紺、靴下は白でワンポイント禁止、靴も白ベースで、下着(キャミソール)も白とか、通学カバンは指定、腕まくり禁止、部活は強制参加、

などなど、

校則っぽい校則がずらーっとありました

私にとって厳しいと思いつつもそれが普通だったので、受け入れてましたが、

神奈川に転校するとこれが全部違いました。

  • スカートはむしろ膝上!
  • カバン自由!
  • 髪型も自由!
  • 靴下も靴も自由!
  • ケータイは学校に預けなきゃ行けないけど持ち込みオッケー🙆🙆


全部自由で何も縛られることがありませんでした

学校には自動販売機があるし?!

お金を学校に持っていく概念がなかった私には衝撃的でした…

炭酸を学校で飲んでいいんだ?!?!


もう天地がひっくり返る思いでした

当たり前に、人の感じも違うし、神奈川にも方言あるし、、、

小学生の頃はあまり考えずに友達が出来たのですが、

中3になって引っ越すと色々考えてしまって、

話しかけに行けなかったり…

学校の規模が大きかったので、クラスの子達も別にまだそんな仲良くなくて、

転校生だからって気遣われることもなく…

なかなか友達と呼べる人が出来なくて、学校に行きたくありませんでした

毎朝布団から本当に出られなくて、泣いて行きたくないって布団にしがみついても、

母が行かせようと布団を剥がしにくるという

朝から激しい対戦がありました(笑)

静岡のときはみんな下の名前で呼んでたのに、神奈川だと名字で呼ばれるんだ…

とか、そういう小さな違いにもショックを受けていました

男子と女子の距離感も違ければ、カーストが若干あるところとか、

私のクラスだけだったのかも知れないですけど、

クラスがちょっとギスギスしてて…

そういうのもあって、

あー都会って自分に合わないのかもとか思いました(笑)

日本とイギリスより、

私の経験した静岡と神奈川の方が、

文化も人間も違いすぎてカルチャーショックでした

日本とイギリスは違いがあるって分かってるけど、

まさか同じ国内でこんなに違いがあるって知らなくて…

今まで経験した中で一番のカルチャーショックでした(笑)

ここの時期が一番よく分からなかったです…

人間ってこうも違うんだってさらに思った転校でした。










2019年1月23日水曜日

転校初日から怒られる?![転校生の経験から③]~番外編~




こんにちは!

パート3でございます!

長いですね。

まだまだお付き合いしてください🙇

今までをまとめると、

♦︎静岡生まれ

♦︎小3~小5まで岐阜の小学校へ

♦︎小5~のお話が今回ですが、こぼれ話として番外編になります〜💫


_________________________________

楽しい遊び生活を終え、再び静岡に戻ってきます

この時は、同じ小学校に戻ってきたので、友達の心配は必要ありませんでしたが、

転校はいつも緊張するものです

私が今でも忘れられないのが、小5の時の担任です

この先生、初日に私のことを怒ったので本当に本当に…😓

学校によって使ってるノートとかって違うじゃないですか

この学校では指定のノートがあって、この学校は自由で…とか

だから、私は無駄なノートを買わないためにも、学校に行ってから先生に聞こうと思いました。もしくは、最初は学校が配布してくれるのかなとも思いました。

小学校ですから(今考えたら謎理論ではあるかも🤔笑)

だから、初日は私はノート持って行かなかったんですよ

そしたら、

『学校になにしに来てるの?』


って。

信じられない!!!!!😱

こっちは転校初日で緊張してるのに、

そんな小学生でノートにまで気を配れないっつーの!!

しかも開口一番にそれ?!?!

思い出してもちょっと腹立たしい案件😡笑

普通に

『これとこれ買ってきてね』

って言えばいいじゃん!

転校初日から恥ずかしかったです…笑

でも、

転校生ってだけで先生たちはちょっと気を使ってくれたり、気にしてくれてたりしたから、それに慣れてしまってた私は特別扱いされるかも?とちょっと思ってた節はありました、正直(笑)

うーん…人生でこの先生とだけは反りが合わなかったです

転校初日から嫌な思いしてますから(笑)

まあ、普通に考えたら”学校”にノート持って行かなかった私も悪いですけど、

転校生の経験から学校によっても違いがあるって知ってるし、

自己判断したらダメだと思った私なりの考えでしたが、

その自己判断が仇となったようです(笑)

経験が役に立つこともあれば、その経験をどこにでも当てはめていいわけじゃない

ということも学びました。









小学生なりに色々考えてたなーと思います
ちょっと大げさに書きすぎた(?)かも知れませんが、
自分を振り返ると結構面白いですね(笑)

以上番外編(?)でした🙌



2019年1月22日火曜日

県によって教育の違い~小学生編〜[転校生の経験から②]



①では、転校した先での友達関係やどのような子供だったか、自分の心境を書きました。

今回は、

県によって、学校によって教育の違いがあるんだよ〜

ということ書いていきたいと思います。

前提として、

私は、静岡でも岐阜でも公立のごく普通の小学校に通っていました。

ここでは、小学生時代の教育の違いを書きたいと思います。

まず、驚いたのが、”授業の進行具合”が違いました。

例えば、静岡の学校では既に習っていた範囲が、

岐阜ではまだ習っていなかった

とか、

逆も然りです。

習ってないのに、転校先では既に終えている範囲だった

ということもありました。

これは一大事ですよね。どうやって私は教わるんだろう?!

となりましたが、

転校先の学校は、私だけに先生が一人ついてくれて、

マンツーマンのような形で、私だけ習っていない範囲を教えてくれました。

けど、みんなが教室で授業を受けているのに、

私だけ廊下で先生と勉強する寂しさはなんとも言えなかったです笑

あと、これは学校によってだと思うんですが、

漢字ドリル計算ドリルカドケド

と略すのは静岡と違って面白かったです。笑

しかも、そこの学校は、カド・ケドを、1回やるだけじゃなくて、

何周もやらせます。1周終わるごとに、ご褒美としてシール?をくれた記憶があります。

私は最大で3周はした気がします。

教育熱心な学校だったんですかね…?

あとは、田舎ならではだと思いますが、

田植えの授業がありました。

みんなで植えて、夏休みに当番で水やりとか観察?をして、収穫するというものでした。

ただ、私は収穫する頃にはまた静岡の学校へ引っ越したので、その体験は出きませんでしたが、お米を送っていただけました。

夏休みはラジオ体操が毎日ありました。

小5?になったら、ラジオ体操講習会があって、第二まで習います笑

これを下級生に教えるみたいな…

真面目に行ってなかったですけど笑



場所が変わればやれることも違いますし、学校によっても教育方針の違いがあると思います。

公立っていってもたくさん違いがあるので、自分に合った学校選びというのは、

難しいと思いますが、大切なことなんだなと思いました。

岐阜では、転校生としてたくさんの先生方にサポートしていただきました。

良い学校だったな〜と思います。

このように、小学生から文化の違いや人間性の違いなどを受け入れることが出来たことは素晴らしい経験でした。


まだまだ続きます...3


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2019年1月21日月曜日

小学生時代は勉強より遊び??[転校生の経験から①]



こんにちは☺️


今回は、転勤族について書こうと思います!

⚠長いです!

引っ越しを経験したからこその今の私があるといっても過言ではないと思うほど、3回の引っ越しは場面ごとに転機がありました。

最初の引っ越しは、私が小3のときでした。

静岡から岐阜へと引っ越しました。

この岐阜への転勤は結果的にはすごく意味のあるものでした。

最初引っ越しが決まったときは、とても嫌だったのを覚えています。たぶん教室でも泣いてたんじゃないかな??

友だちと離れることが単純に寂しかったです。

けど、引っ越した先の学校では、すぐに色々な子が話しかけてきてくれました。自己紹介もたくさんしました。すごく嬉しかったです。

知らない土地で一から友達を作ることって本当に難しいです。

方言があるから言葉だって違うし、学校の規則から勉強方法とか、今までとは違う環境だから適応するのが大変でした。

最初は、学校に行くのが嫌でした。だから、朝は布団から出られなくて、母と毎朝格闘していたと思います。

けど、徐々に仲良い子がたくさん出来て、お泊まりし合ったり、放課後ずっと遊んでたり、校内鬼ごっこやったり...

すごく活発に遊んでいました。

道端で家庭訪問に行く先生の車を見かけたら、

自転車で追いかけたこともあります。

隣に住んでたお姉さんとドッチボールの練習もたくさんしました。

どうやったら早く正確に投げれるかたくさん練習してました。

父が帰宅するのを待ってから、一緒に遊ぶことも多かったです。

当時の私はすぐ拗ねる子供で、負けたら泣く、負けたら悔しくて家出(仮)を頻繁にする

ということを友達に対しても数えきれないほどしました。ごめんなさい。笑

けど、その度に探してくれる友達がいました。

そんな大切な友達とたくさん出会えたのがこの岐阜での生活でした。

毎日遊び呆けて、勉強は一切した記憶がないです。宿題とかはたぶん焦りながら、泣きながら片付けてはいたと思いますが。

この岐阜で、毎日全力で遊ぶことが出来て良かったなあといつも思います。

勉強勉強って言わなかった両親、

子供時代にしか出来ないことをちゃんとやれる期間があったことが本当に良かったと思います。

家族で出掛ける機会も多かったです。

思い出すのは、私が社会で習ったことや場所によく連れて行ってくれました。

和紙を習ったら、美濃まで和紙作りをしに行きました。

岐阜城にも連れて行ってくれたり、白川郷や昭和村にも何回か行った記憶があります。

社会科で習い、私が興味のあるところに連れて行ってくれました。

勉強は確かにしていなかったけど、このような形で楽しんで歴史に触れたり、好きなものを肯定してくれていました。

この岐阜での生活では、本当に勉強した記憶がないです。

読書はたくさんしてました。歴史が好きで、マンガで分かる!ピラミッドの秘密(ニュアンス)とかライト兄弟の話とか。本はよく読んでいたと思います。図書係ずっとしてました🤓

けどそれを上回るのが、楽しい遊びの思い出たちです。

小学生のときに小学生らしいことを出来たことが、1つの今の私の武器だと思います。

大人になるにつれて、遊びたくても遊べなくなるということを今実感してます。

なにも考えないで遊べるのって小学生しかないなと思います。

塾へ行き勉強をしてる子もたくさんいました。

たまに、公文に行ってる子が羨ましかったです。だって頭が良いから笑

けど、私には公文に行ったりすることは性格に合ってないとたぶん母は思ってたと思いますし、私も塾は苦手です。

勉強出来る子が羨ましかったけど、それより遊び!だった岐阜での生活はかけがえのないものでした。

知らない土地で友達を作り、適応し、好きなものに触れる。

簡単そうで難しいんです。これを小3~小5で経験出来たからこそ、

今知らない土地でも適応することが出来てるのかなとも思います。

程よい田舎で過ごし、時間に余裕がある小学生時代はとても貴重でした。

長くなりましたが…

...2へ続く